承認欲求はなぜ必要なのか
おはようございます!
ハッピーカーズ大田田園調布店です。
先日会った友達が、SNSを始めたと言っていました。「バズらせたい」と。同い年のおじさんなのに、そういうことに興味あるのかと思って聞いていたら、フォローしてくれ、とか、いいね!押してくれとか、コメントしてくれ、などと言ってくるようになりました。そのアルゴリズムがどうだとかこうだとか。だんだん興味がなくなってきました。本人いわく「承認欲求だね、だから多く人に見てもらいたい、いいね!押してもらいたい」。もちろんコンテンツのことは考えているようでしたが、それが見ている人にどういう意味があるのか、からスタートしないのがその人らしいなと思ってしまいました。今まで何度もテーマを変えてやり始めますが、4〜5回で終わることを知っています。
承認欲求という言葉はSNS関係で聞くことがかつては多かった気がしますが、今の自分にはまったく関係のない言葉になりました。むしろ皆からノーと言われてもやりたいことはやる、ぐらいの気持ちになっています。それが言い過ぎだとしても、最近出会った人、長い間かけて築いた人計5人ぐらいとの関係が続けばよいと思っています。彼らとは、いいね!を押し合う仲ではないですが、それ以上のものであることは日々のコミュニーケーションから感じることではあります。いいね!見えるものだけど、感じることは見えない、という理由でSNSをやるとしたらそれは何も意味がないような気がしますし、誰にも求められないことになるのでしょう。不特定の人からいいね!より、近い仲間のおかげで、迷うことなく前に進めることはありがたいなと思います。
今日もよいカーライフを!
※査定の問い合わせはこちら
https://carsupport-ota.com/
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。